トヌペカ ランラン ちりゆきえのアイヌしんようしゅう より
作者のことば 貝瀬美穂(かいせみほ)
知里幸惠さんの『アイヌ神謡集』をはじめて読んだ時、言葉の響きに感動するとともに、アイヌの神謡に独特の空気を感じました。 これらの神謡が、アイヌ語で心地よいリズムに乗せて謡われている光景が、目に浮かびます。
この絵本は、『アイヌ神謡集』に収められている「沼貝が自ら歌った謡 トヌペカ ランラン」を題材にして、本文には日本語での口ずさみやすいリズムを付けてみました。また、アイヌの人たちの手仕事のイメージから、切り絵の手法をとりました。
この絵本をとおして、子供たちをはじめ多くの人たちに、身近なかたちでアイヌ神謡に親しんでもらえたらと思います。
解説
この絵本は、大正12年に刊行された知里幸恵の『アイヌ神謡集』のなかの「沼貝が自ら歌った謡 トヌペカ ランラン」というカムイユカラがもとになっています。カムイユカラとは、クマやキツネ、シマフクロウ、火や雷など、さまざまなカムイ(神)が自ら体験した出来事を語る物語で、ここではピパという川に住む貝が主人公になっています。
この話は大きく二つのテーマで構成されています。ひとつは、小さな貝であってもカムイであり、粗末にするとそれなりの罰が当たるという訓戒話。もうひとつは、なぜ穂摘み具が貝で作られているのかという起源話です。類似した話は北海道東部の美幌地方にも伝承されていて、次のような内容になっています。
沼が枯れて川貝が泣いているとオキキリミが大勢の犬と共にやって来て、悪口を言いながらさんざんに踏みつけていきました。そのあとにサマイェクルが大勢の犬と共にやって来て、貝を取り上げて川の中へ戻してあげました。川貝は無事父母のもとに帰り、元気を取り戻すことができました。そこで、自分に悪口を言ったオキキリミの村は飢饉にして、自分を助けてくれたサマイェクルの村にはシカやサケを与えました。
美幌地方に伝わっていた物語では、登場人物やその性格が絵本の内容と異なっています※1。それに訓戒話だけで構成されていて、穂摘み具利用の話はありません。しかし、「食べ物」でお礼と罰を与えるという結末は同じです。外見上小さくて弱そうで、たかが貝と軽く見てしまうような存在であっても、やはりカムイはカムイ。このお話には小さな貝であってもカムイとして敬う心を忘れると、その報復は軽いものではなく、不作や飢饉という人の生死にも関わるような仕返しになって現れるという教訓が含まれています。
ところで、この絵本にもあるように、昔はコタン(集落)の周辺でアワやヒエ、イナキビといった穀物が栽培されていました。その穀物を秋に収穫する際に使われたのがこの貝で作られた穂摘み具です。物語ではピパを沼貝と訳していますが、アイヌの人たちが穂摘み具として利用していたのは、実はカワシンジュガイという貝です。この貝は全体的に長円をしていますが、貝殻の口部が比較的まっすぐになっており、殻が厚くて内部は真珠光沢があり、長さ13cm、幅4cm程度とちょうど手のひらに収まるくらいの大きさです。ちなみに、とても長生きの貝としても知られていて、寿命は100年を越えるとも言われています。
穂摘み具として利用するには、この貝殻のちょうつがいのあたりに2カ所穴を開け、これに紐を通して輪を作ります。この輪に中指と薬指を差し込んで貝殻を握り、貝の口部を穀物の穂に当ててちぎり取り、サラニプ(編み袋)などに入れて収穫しました。なお、この穂摘み具のこともアイヌ語では「ピパ」といいます。
北海道の川には、この貝のほかにヌマガイ、イシガイ、タガイ、カラスガイなどの二枚貝が生息していますが、多くの貝が食用にされていました。ある程度の年齢以上の方であれば、食べた経験のある方もいらっしゃると思います。また、北海道内各地にピパウシ【「カワシンジュガイ(あるいはヌマガイなどの川貝)が多いところ(川)」の意味】由来の地名があることからも、アイヌの人たちは食用などに多く利用していたことが推測されます。しかし自然環境の悪化からか、現在はなかなかその姿を見ることができなくなってしまいました。それもそのはずで、カワシンジュガイなどは環境省のレッドデータブック※2で絶滅危惧種に指定されているほどです。
このようなアイヌの伝統や文化を題材にした絵本に出てくるカムイたちのなかには、オオカミやカワウソなど、もう日本では姿が見られなくなってしまったものもいます。ちょっと前までは普通に小川でみられたカワシンジュガイも今はもう絶滅寸前の状況です。この本を読む子どもたちのためにも、物語に出てくる動物たちがこれ以上、お話や図鑑のなかだけの存在にならないよう、絵本を読みながら自分たちが住んでいる周囲の環境についても考えていただければと思います。
| ※1 | 北海道東部などでは、このようにサマイェクルの方が良い人で登場します。 |
| ※2 | 絶滅のおそれのある野生生物の状況を記録した本で、日本では1991年に環境庁(現、環境省)から初めて発行されました。 |
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| 穂摘み具(ピパ) 北海道大学 植物園・博物館所蔵 |
引用・参考文献
- 知里真志保 :1961 「アイヌの神謡二」『北方文化研究報告』第16輯 北海道大学
- 知里真志保・小田邦雄 :1968 『ユーカラ鑑賞』 潮文社
- 知里真志保 :1973 「かむい・ゆうかる」『知里真志保著作集』第2巻 平凡社
- 知里真志保 :1973 『知里真志保著作集』別巻Ⅰ 平凡社
- 更科源蔵・更科光 :1976 『コタン生物記』(2) 野獣・海獣・魚族篇 法政大学出版局
- 知里幸恵 :1978 『アイヌ神謡集』 岩波書店
- 萱野 茂 :1978 『アイヌの民具』 『アイヌの民具』刊行運動委員会
- 萱野 茂 :1983 『学研生物図鑑 貝(2)』 学習研究社
- 山田秀三 :1984 『北海道の地名』 北海道新聞社
沼貝が自ら歌った謡「トヌペカ ランラン」
トヌペカ ランラン
強烈な日光に私の居る所も
乾いてしまって今にも私は死にそうです。
「誰か、水を飲ませて下すって
助けて下さればいい。水よ水よ」と私たちが泣き叫んで
いますと、ずーっと浜の方から一人の女が
籠を背負って来ています。
私たちは泣いていますと、私たちの傍を通り
私たちを見ると、
「おかしな沼貝、悪い沼貝、何を泣いて
うるさい事さわいでいるのだろう。」と言って
私たちを踏みつけ、足先にかけ飛ばし、
貝殻と共につぶして
ずーっと山へ行ってしまいました。
「おお痛、苦しい、水よ水よ。」と泣き叫んで
いると、ずっと浜の方からまた一人の女が
籠を背負って来ています。私たちは
「誰か私たちに水を飲ませて助けて下さるといい、
おお痛、おお苦しい、水よ水よ。」と叫び泣きました。
すると、娘さんは、神の様な美しい気高い様子で
私の側へ来て私たちを見ると、
「まあかわいそうに、大へん暑くて沼貝たちの
寝床も乾いてしまって水を欲しがって
いるのだね、どうしたのでしょう
何だか踏みつけられでもした様だが・・・・・・」と言いつつ
私たちみんなを拾い集めて蕗の葉に
入れて、きれいな湖に入れてくれました。
清い冷水でスッカリ元気を恢復し
大へん丈夫になりました。そこで始めて
かの女たちの気性を探って
見ると、先に来て、私を踏みつぶした
にくらしい女、わるい女はサマユンクルの
妹で、私たちを憫み
助けて下さった若い娘さん淑(しと)やかな方
は、オキキリムイの妹なのでありました。
サマユンクルの妹は悪(にく)らしいので
その粟畑を枯らしてしまい、オキキリムイの
妹のその粟畑をばよく実らせました。
その年に、オキキリムイの妹は大そう多く収穫をしました。
私の故為(せい)でそうなった事を知って
沼貝の殻で粟の穂を摘みました。
それから、毎年、人間の女たちは
粟の穂を摘む時は沼貝の殻を使う様になったのです。
と、一つの沼貝が物語りました。
知里幸惠編訳『アイヌ神謡集』 (岩波書店 1978年) より日本語訳を掲載
